ヤマなしオチなし意味なし脈絡なし散文:恋愛について

twitterで非リア芸を繰り返す知人を見てやるせない気持ちになったので、恋愛について考えていることを吐き出す。

 

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最近、自分のコンプレックスに一つ一つ向き合って、潰せるものは潰してきた。

その結果、自分よりどうしようもない男が女を連れているのを見ても死にたくなることが少なくなった。

精神が成長したのか、何かしらの感覚器が死んで鈍感になったのかはわからない。

 

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そして、以前より恋愛するのが怖くなってしまった。

自分に恋愛市場価値が無い訳ではない、この世に何人かは自分を受け入れてくれる人もいるんだなあという事に気づいたと同時に、興味のない男から好意を向けられた時の女性が感じる嫌悪にも気づいてきた。

 

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激烈に好きな女性がいる訳でもない。

35億人の中からパートナーを探す過程で、どれだけの女性に秋波を送り、その人を嫌な気分にさせてしまうのだろうと考えると、捨て鉢な気分になって、街コンの登録ページを閉じ、マッチングアプリを削除するということを繰り返している。(そして酒の席で友人に煽られる度に再度インストールしている。)

 

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そんなことをしているとツイッターのプロモがtinderだのomiaiだのマッチングアプリばかりになってくるのだが、またその広告に出てくる精神的肉体的健常男女を見るにつけてもなぜか腹立たしく、空しい気分になる。

結局コンプレックスを克服することはできていないし、今後も完全に克服することはできないんだろう。

 

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恋愛ってそういうもんだから、自分が幸せになる過程で誰かを多少不幸にしてしまうのはしょうがないから…という意見をよくもらう。

自分が俎上に載ることでまな板が汚れるのではないか、という思考は、女性を、または恋愛そのものを、過度に神聖化しているからこそ生まれるのだろうか。

 

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高校3年生の頃、毎日好きな人のことを考えながら下校していた。

その子は僕の事を嫌いなんだ、と思いながら歩いていると、(比喩でもなんでもなく)鼓動が早くなって胸の奥が締め付けられるような感覚があり、とても苦しくなるのだが、なぜかその痛みに依存しており、毎日毎日同じ思考、同じ痛みを繰り返していた。

こんな記事を書いてるのも同じような作用が起こっているのかもしれない。

 

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ここ最近、ストレスで胃腸炎になったり、何もしなくても涙が出てくるようになったので、転職活動を始めました。